がん細胞の特徴に合わせた治療を行うための検査(肺がんに関連する遺伝子変異・タンパク質の発現)
肺がんと診断されると、治療方針を決めるうえで、がん細胞の遺伝子にどんな異常(遺伝子変異)が見られるかを調べる検査(遺伝子検査)や、がん細胞が免疫細胞の攻撃を逃れるためのタンパク質を発現しているかを調べる検査(PD-L1検査)を行います。
これらの検査には、確定診断時に採取した細胞や組織を使用します。
特定の遺伝子異常(遺伝子変異)が認められた場合には、がん細胞のタンパク質や遺伝子を標的としてがん細胞を攻撃する「分子標的薬」と言う治療薬を使った治療が選択されます。遺伝子検査で変異が見つからないときでも、PD-L1検査で免疫細胞から逃れるタンパク質の発現が確認された場合には、この免疫細胞から逃れるしくみを解除する「免疫チェックポイント阻害剤」による治療法(免疫療法)の効果が期待できます。
肺がんの確定後、遺伝子検査を行い、がん細胞増殖にかかわる9つの遺伝子変異の有無を調べます。9つの遺伝子とはEGFR、ALK、ROS1、BRAF、NTRK、MET、RET、KRAS、HER2です。これらの遺伝子に変異が見つかった場合、それぞれの遺伝子を標的にした分子標的薬を使います。これらの遺伝子に変異が見つからなかった場合、PD-L1検査を行い、免疫治療薬が効くかを調べます。
癌細胞の特徴に合った治療を実現
癌細胞の遺伝情報がわかれば、その癌の特徴を捉えることができ、患者さん一人ひとりの癌に合った治療法(個別化治療)を検討することができます。
癌細胞が持つ遺伝子などの遺伝情報全体(ゲノム※)を解析して網羅的に調べ、癌と関連がある遺伝子の状態を調べる検査が「遺伝子パネル検査」です。癌と関連することがわかっている遺伝子異常が見つかり、その遺伝子異常に対応した治療法がある場合には、癌細胞の特徴に合った治療を受けることができます。
しかし、遺伝子異常が見つからなかったり、異常が見つかっても対応する薬剤がなかったりする場合もあります。
がん細胞では、正常な細胞に比べて、一部の遺伝子やタンパク質に異常が認められたり、発現量が増えたりすることがわかってきています1)。
がん細胞の遺伝子を調べて、がんの発生や進行に影響を与えている遺伝子変異が認められた場合には、その遺伝子やタンパク質に的を絞って行う治療法(分子標的治療)が行われます。肺がんでは治療のターゲットとして現在、EGFR遺伝子変異、ALK融合遺伝子、ROS1融合遺伝子、BRAF遺伝子変異、NTRK融合遺伝子、MET遺伝子変異、RET融合遺伝子、KRAS遺伝子が特定されています。
関連リンク
EGFR遺伝子変異(イージーエフアール遺伝子変異)
EGFRは、細胞の成長や増殖に関わる上皮成長因子受容体と呼ばれるタンパク質で、がん細胞の表面に多く存在します。EGFR遺伝子に変異が起こると、増殖のスイッチが入り続けた状態になり、がん細胞が増殖し続けてしまいます。EGFR遺伝子変異は日本人に多く認められ、非扁平上皮がんで最も多く見られます。
通常は、EGFRにEGFが結合することで、ATPが結合しスイッチが入りシグナル伝達により細胞が増殖します。
遺伝子変異により細胞増殖のスイッチが常にONとなっていると、EGFRの変異によりEGFが結合しなくてもATPが結合するため、シグナル伝達により細胞が増殖し続ける異常な状態になっています。
ALK融合遺伝子(アルク融合遺伝子)
ALK融合遺伝子は、細胞の増殖などに関わるALK遺伝子に、なんらかの原因により他の遺伝子(EML4遺伝子)が融合してできた特殊な遺伝子のことを言います。ALK融合遺伝子により作り出されたALK融合タンパク質の作用により、細胞を増殖させるスイッチが入り続けた状態になり、がん細胞が増殖し続けてしまいます。
ALK遺伝子とEML4遺伝子は本来、別々の場所に位置しています。ところが、それぞれ途中でちぎれて入れ替わってしまうことによって、ALK遺伝子とEML遺伝子がつながってしまうことがあります。この状態をALK融合遺伝子と呼びます。
ALK融合遺伝子により作り出されたALK融合たんぱく質の作用により、細胞が増殖し続ける状態になってしまいます。
ROS1融合遺伝子(ロスワン融合遺伝子)
ROS1融合遺伝子とは、細胞の増殖などに関わるROS1遺伝子に、なんらかの原因により他の遺伝子が融合してできた特殊な遺伝子のことを言います。ROS1融合遺伝子により作り出されたROS1融合タンパク質の作用により、がん細胞を増殖させるスイッチが入り続けた状態になり、がん細胞が増殖し続けてしまいます。
例えばROS1遺伝子と他の遺伝子がそれぞれひっくり返ってお互いにくっつくとROS1融合遺伝子となります。
ROS1融合遺伝子が作り出すROS1融合タンパク質の作用により、常にスイッチが入った状態になり、シグナル伝達により細胞が増殖し続けます。
BRAF遺伝子変異(ビーラフ遺伝子変異)
BRAFは、細胞が増殖するときの信号の伝達に関わるタンパク質です。BRAFを作るBRAF遺伝子に変異が起こると、増殖しろと言う命令が出し続けられ、がん細胞が増殖し続けてしまいます。
通常は、増殖因子が受容体に結合することでスイッチが入り、シグナル伝達により細胞が増殖します。
しかし、BRAF遺伝子変異があると、増殖因子が結合していなくても、BRAFのスイッチが入ったままの状態になり、シグナル伝達により細胞が増殖し続けます。
がん細胞の遺伝子検査で変異が見つからないときでも、がん細胞が免疫細胞の攻撃を逃れるタンパク質を多く発現している場合には、免疫細胞の攻撃を逃れるしくみを解除する治療法(免疫療法)が行われます。現在、肺がんの免疫療法の治療ターゲットとしてはPD-L1があり、PD-L1検査によって選択されます。
NTRK融合遺伝子(エヌティーアールケー/エヌトレック融合遺伝子)
NTRK融合遺伝子とは、神経細胞の分化や維持に関わるTRKタンパク質を作り出すNTRK遺伝子に、なんらかの原因により他の遺伝子が融合してできた特殊な遺伝子のことを言います。NTRK融合遺伝子により作り出されたTRK融合タンパク質の作用により、必要のないときにも細胞が増殖し、がんが発生しやすくなると考えられています。
図:NTRK遺伝子変異による異常な細胞増殖のしくみ
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まずNTRK遺伝子に、他の遺伝子が融合しNTRK融合遺伝子ができます。
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NTRK融合遺伝子によりTRK融合タンパク質が作られます。
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TRK融合タンパク質のチロシンキナーゼという部分にアデノシン三リン酸(ATP)という物質が結合すると、細胞内では、次々にタンパク質が活性化され、細胞の増殖がはじまります。TRK融合タンパク質が作られると必要のないときにもこの活性化が起こります。
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必要のないときにも細胞が増殖するため、がん細胞の増殖が起こると考えられています。
MET遺伝子変異(メット遺伝子変異)
METは細胞の増殖に関わる間葉上皮転換因子と呼ばれるタンパク質で、肺がん細胞にも存在します。MET遺伝子に変異が起こると、増殖のスイッチが入り続けた状態になり、がん細胞が増殖し続けてしまいます。
図:MET遺伝子変異による異常な細胞増殖のしくみ
MET遺伝子変異による異常な細胞増殖のしくみは、変異が無い場合は、MET(間葉上皮転換因子)にHGF(肝細胞増殖因子)が結合することで、ATPが結合してスイッチが入り、シグナル伝達により細胞が増殖します。
しかしMETの遺伝子変異により、HGFが結合しなくてもATPが結合するため、常にスイッチが入った状態になり、シグナル伝達により細胞が増殖し続けます。
RET融合遺伝子(レット融合遺伝子)
RET融合遺伝子とは、細胞の増殖などに関わるRET遺伝子に、なんらかの原因により他の遺伝子(KIF5BやCCDC6など)が融合してできた特殊な遺伝子のことを言います。RET融合遺伝子により作り出されたRET融合タンパク質の作用により、がん細胞を増殖させるスイッチが入り続けた状態になり、がん細胞が増殖し続けてしまいます。
RET遺伝子と融合するパートナー遺伝子にはKIF5BやCCDC6といった遺伝子があり、それぞれがひっくり返ってお互いにくっつくことで、RET融合遺伝子となります。
RET融合遺伝子が作り出すRET融合タンパク質の作用により、常にスイッチが入った状態になり、シグナル伝達により細胞が増殖し続けます。
KRAS遺伝子(ケーラス遺伝子)
KRASは、細胞の増殖などに関わるRASタンパク質と呼ばれるタンパク質のひとつで、正常な細胞とがん細胞のどちらにも存在しています。KRAS遺伝子に変異が起こると、増殖のスイッチが入り続けた状態になり、がん細胞が増殖し続けてしまいます。
通常は、KRASにGTP(グアノシン3リン酸)が結合することでスイッチが入り、シグナル伝達により細胞が増殖しますが、そのスイッチはすぐにオフになって細胞の増殖をコントロールしています。
しかしKRAS遺伝子変異があると、常にスイッチが入った状態になるため、シグナル伝達も常に活性化され、細胞が増殖し続けてしまいます。
HER2遺伝子変異(ハーツー遺伝子変異)
HER2は、がん細胞の表面に存在し、細胞の増殖に関わるヒト上皮増殖因子受容体2型と呼ばれるタンパク質です。HER2遺伝子に変異が起こると、常に細胞の増殖のスイッチが入った状態になり、がん細胞が増殖し続けてしまいます。
通常、HER2は、もう一つのHER2や類似した受容体と結合して二量体(2つの分子が結合して1つの物質となること)になることでスイッチが入って、細胞内部にシグナルを伝えます。
しかし、HER2遺伝子に変異があると、受容体の構造が変化し、他の受容体と結合して二量体にならなくてもスイッチが入ったままの状態になってしまうため、細胞を増殖するためのシグナルが出続け、がん細胞が増殖します。
PD-L1検査(ピーディーエルワン検査)
PD-L1は細胞の表面に存在するタンパク質です。PD-1と言う免疫細胞の表面に存在する受容体と結合すると、標的とする細胞への攻撃を中止させる指令が出て、免疫細胞の働きが抑制(標的細胞への攻撃が中止)されます。通常は、このPD-1とPD-L1のシステムを使って、免疫細胞が誤って自分自身の細胞を攻撃しないようにコントロールしています。
最近、がん細胞がこのしくみを巧みに利用して、細胞表面にPD-L1を存在させることで免疫細胞の攻撃を逃れていることがわかってきました1)。そこで、がん細胞の表面にPD-L1がどの程度発現しているかを調べるのがPD-L1検査です。
図:免疫細胞の攻撃を逃れるしくみ
遺伝子はタンパク質を作り出すための設計図
人間の体の細胞はおよそ37兆個といわれています1)。この細胞の中には、体を構成し、生命活動の維持に不可欠なタンパク質を作り出すための設計図となる「遺伝子」が存在します。一人ひとりの姿かたちが異なるように、遺伝子も一人ひとり異なっています。遺伝子は放射線、紫外線、化学物質などの外的要因、および細胞の代謝により発生する活性酸素などの内的要因により絶えず損傷を受けています。この損傷により遺伝子が変異する場合があり、変異した遺伝子はある特定のタンパク質を異常に作り出すことで細胞の性質が変化し、その一部が癌細胞となります。
関連リンク
参考文献
- 日本肺癌学会編:患者さんと家族のための肺がんガイドブック 2023年版.金原出版.2023
- 渡辺俊一他監修:国立がん研究センターの肺がんの本. 小学館クリエイティブ. 2018
- 坪井正博監修:図解 肺がんの最新治療と予防&生活対策. 日東書院. 2016
- 日本肺癌学会編:肺癌診療ガイドライン2023年版
https://www.haigan.gr.jp/guideline/2023/(別ウィンドウで開きます)(閲覧日:2024年5月20日) - 日本肺癌学会バイオマーカー委員会:肺癌患者におけるPD-L1検査の手引き(第1.0版).2017
- 国立がん研究センターがん情報サービス「細胞ががん化する仕組み」
https://ganjoho.jp/public/knowledge/basic/cancerous_change.html(別ウィンドウで開きます)(閲覧日:2024年5月20日)
https://www.haigan.gr.jp/uploads/files/photos/1400.pdf(PDFファイルで開きます)(閲覧日:2024年5月20日) - Amatu, A. et al.: ESMO Open. 1(2): e000023, 2016.
- Thiele, C.J. et al.: Clin Cancer Res. 15(19): 5962-5967, 2009.
- Martin-Zanca, D. et al.: Nature. 319(6056): 743-748, 1986.
- Vaishnavi, A. et al.: Cancer Discov. 5(1): 25-34, 2015.
- 片岡圭亮ほか:実験医学 35(4):541-5, 2017.
- Bianconi E, et al.: Ann Hum Biol. 40(6):463-71, 2013.